私にとって仕事とは (雑感)
2009.3.24
今年に入って、多少仕事が続くようになった。
しかし、ひとつの会社の仕事だけで、去年メインだった会社からは、今年になって、まだ何もない。
やはり、たまたま入っているだけであって、将来の保証がない仕事というのは、よくない。
しかし、一方で思うことは、なぜ組織なのか。会社を興す、会社を成長させるということは、とてつもなくすごいことだと思える。しかし、なぜ組織なのか、なぜ、個人ではいけないのか。
会社生活22年、本当はいつも、このままではいけないと悩んでいた。しかし、今は、会社生活って、あんなことだったのかとも思う。要するに、組織の軋轢を調整しながら仕事をするということだ、その「組織の軋轢の調整」こそが、最大のストレスであり、仕事だったのだ、私の場合。それは、大変なストレスだった、おおいに給料に値したと思う。しかし、それって、本来の仕事のはずがない。そんなことに給料を払う会社の価値観もおかしいと思う。
今、その会社の社長になっている人は、ジェネラリストだ。だれも敵を作らないタイプで、誠実だった。以前誰かが言っていた、「塀から頭を出してまわりをこちょこちょ見ているスピッツのようなやつだ」と。たぶん、組織の中の自分の処し方のスマートさを、身に着けている人だったのだろう。やはり、総合的な人間力というものかもしれない。
しかし、組織を離れて個人になると、かくも格差があるのかと、思い知らされている。
組織よ、もう少し、柔軟になって、社員のストレスを減らし、社員のストレスに給料を払わず、外の人材に対して、門戸を広げたらどうか。
ああ、組織のストレスはいやだ。でも、安定がそこにしかないのなら、戻りたい。しかしまた、組織は、中高年はなかなか受け入れてくれないのだ。 クリックしてくれるとうれしいです→
/
今年に入って、多少仕事が続くようになった。
しかし、ひとつの会社の仕事だけで、去年メインだった会社からは、今年になって、まだ何もない。
やはり、たまたま入っているだけであって、将来の保証がない仕事というのは、よくない。
しかし、一方で思うことは、なぜ組織なのか。会社を興す、会社を成長させるということは、とてつもなくすごいことだと思える。しかし、なぜ組織なのか、なぜ、個人ではいけないのか。
会社生活22年、本当はいつも、このままではいけないと悩んでいた。しかし、今は、会社生活って、あんなことだったのかとも思う。要するに、組織の軋轢を調整しながら仕事をするということだ、その「組織の軋轢の調整」こそが、最大のストレスであり、仕事だったのだ、私の場合。それは、大変なストレスだった、おおいに給料に値したと思う。しかし、それって、本来の仕事のはずがない。そんなことに給料を払う会社の価値観もおかしいと思う。
今、その会社の社長になっている人は、ジェネラリストだ。だれも敵を作らないタイプで、誠実だった。以前誰かが言っていた、「塀から頭を出してまわりをこちょこちょ見ているスピッツのようなやつだ」と。たぶん、組織の中の自分の処し方のスマートさを、身に着けている人だったのだろう。やはり、総合的な人間力というものかもしれない。
しかし、組織を離れて個人になると、かくも格差があるのかと、思い知らされている。
組織よ、もう少し、柔軟になって、社員のストレスを減らし、社員のストレスに給料を払わず、外の人材に対して、門戸を広げたらどうか。
ああ、組織のストレスはいやだ。でも、安定がそこにしかないのなら、戻りたい。しかしまた、組織は、中高年はなかなか受け入れてくれないのだ。 クリックしてくれるとうれしいです→


この記事へのコメント
この記事へのコメント
spadragonさん、こんばんは。
久々の記事なのに、こんなに早くコメントをいただいて、ありがとうございます。
就職、よかったですね。しかし、お怪我とのこと、お大事になさってください。(労災扱いなのはせめて救いかもしれませんね。)
「不感症と不干渉」ですか。いろいろ考えてしまいます。
こういうことには「不感症」でいたい、でも、アドレナリンガ出てしまう、ということが、私には、多々あってしまいます。
一方、「不干渉」は、とてもいいことだと思います。私は、そうありたいと思います。私のまわりに、組織でも家族でも、「過干渉」の人が多かったと思えることから、そう思うのかもしれません。
捉え方はいろいろでしょうが、自分と他人は違うのだということ、そういうことをわかった上で、「協力」しあわないと、だめなんだと思います。
久々の記事なのに、こんなに早くコメントをいただいて、ありがとうございます。
就職、よかったですね。しかし、お怪我とのこと、お大事になさってください。(労災扱いなのはせめて救いかもしれませんね。)
「不感症と不干渉」ですか。いろいろ考えてしまいます。
こういうことには「不感症」でいたい、でも、アドレナリンガ出てしまう、ということが、私には、多々あってしまいます。
一方、「不干渉」は、とてもいいことだと思います。私は、そうありたいと思います。私のまわりに、組織でも家族でも、「過干渉」の人が多かったと思えることから、そう思うのかもしれません。
捉え方はいろいろでしょうが、自分と他人は違うのだということ、そういうことをわかった上で、「協力」しあわないと、だめなんだと思います。
- 2009-03-25
- 編集
コメントの投稿
- トラックバックURL
- http://bankrupted.blog115.fc2.com/tb.php/358-f093b825
- この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
なかなか組織って大変ですよね・・・。本来の業務以外の部分で悩むことが多いというのが一番の問題点でしょうね。
組織(集団)に入り、そこで長く長く勤め上げるために必要な能力とは「不感症と不干渉」だと思っています。時に僕はそのような能力が欲しいと願い、時にそんな能力がなくて良かったと思うのです。
ちなみに、この厳しい不況の中、数十社応募してなんとかフルタイムの契約社員となることが出来ました。収入は僕が18歳のころと変わりません。しかし、働く場所があるだけマシだと考えています。
でも・・・入社三日目に半月板損傷の怪我をしました。今は労災で治療に専念していますが、その後が心配です。クビになるかもですから・・・。