人の言語能力についての雑感 (雑感)
2008.8.31
皆さんは、パソコンで和文を入力するとき、「直接入力」と「ローマ字変換入力」の、どちらを使っていますか?
おそらく、「ローマ字変換入力」の方が、圧倒的に多いと推測します。
私は、以前、「直接入力」を使っていました。その理由は、雨の意味の「レイン」を入力するとき、「ローマ字変換入力」だと、「rein」と入れなければなりません。英語のスペルでは「rain」なのに。そういうことが気持ち悪くて、また、英語とカタカナが頭の中で混乱するような気がして、いやだったのです。
しかし、その後、会社でパソコンを使う場合に、他のメンバーが私のパソコンの前に来て、ときにパソコンを操作しながら何かを聞いたり打ち合わせしたりするときに、みんな戸惑うのです。あるいは、私が、他の人のパソコンを操作するときも、私が戸惑うのです。そんな不便さから、やむなく、「ローマ字変換入力」に、自身も切り替えた経緯があります。
切り替えてどうだったかですが、私の頭の中で、「rein」と「rain」で混乱することは、意外にも、ありませんでした。意外だったのですが。
たぶん、頭の中の引き出しが日本語と英語に分けられていて、無意識にでも切り替えしているのではないかと、勝手に思っています。
ひとつの発見でした。
同様なことでもう一つですが、言語能力について、推論していることがあります。
最近まで私は、日本人の子供が英語を学ぶことについて、「日本語の基礎能力が付いてから英語を勉強すべきだ」という考え方に、うなづいておりました。ちょっと前のTVでも、丸山弁護士さんも、そのようなお考えのことを発言していました。(もちろん、幼いころから英語も学ばせたほうがいいという考え方もあるということは、知っていました。)
しかし、少し前、TVで、人間のあかんぼうの成長とはどういうことなのかをテーマにしたNHKスペシャルを見て、思いました。それによると、あかんぼうから成長していく歴史は、人間の能力でいうと、「退化の歴史」でもあるということなのでした。どういうことかというと、あかんぼうのときの「耳」は、大人の「耳」より、はるかに、「音を聞き分ける力」が、あるのだそうです。それが、生まれ落ちてからは、親が日本語を話すので、日本語を判別する能力は高まる一方で、生きていく上で聞き分けなくていい発音は、認識しなくていいものとして、聞き分ける能力が破棄されていくのだそうです。
そこに、私の経験としての、「頭の引き出しは分けられている」という実感を合わせると、たぶん、幼いころから、日本語にも英語にも接していると、バイリンガルな言語理解力と対応する耳が、育ち、そこに、日本語と英語が頭の中で混ざって混乱することはないのではないだろうかと、推測するわけです。
今の時代、バイリンガルであることは、大きななメリットだと思いますので、この先、やっぱり幼いころから、日本語とは別に、英語にも触れさせるような子供の育て方は、いいのではないかと、思ってしまいます。
自分や子供については、too lateですけどね(~_~;) クリックしてくれるとうれしいです→
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皆さんは、パソコンで和文を入力するとき、「直接入力」と「ローマ字変換入力」の、どちらを使っていますか?
おそらく、「ローマ字変換入力」の方が、圧倒的に多いと推測します。
私は、以前、「直接入力」を使っていました。その理由は、雨の意味の「レイン」を入力するとき、「ローマ字変換入力」だと、「rein」と入れなければなりません。英語のスペルでは「rain」なのに。そういうことが気持ち悪くて、また、英語とカタカナが頭の中で混乱するような気がして、いやだったのです。
しかし、その後、会社でパソコンを使う場合に、他のメンバーが私のパソコンの前に来て、ときにパソコンを操作しながら何かを聞いたり打ち合わせしたりするときに、みんな戸惑うのです。あるいは、私が、他の人のパソコンを操作するときも、私が戸惑うのです。そんな不便さから、やむなく、「ローマ字変換入力」に、自身も切り替えた経緯があります。
切り替えてどうだったかですが、私の頭の中で、「rein」と「rain」で混乱することは、意外にも、ありませんでした。意外だったのですが。
たぶん、頭の中の引き出しが日本語と英語に分けられていて、無意識にでも切り替えしているのではないかと、勝手に思っています。
ひとつの発見でした。
同様なことでもう一つですが、言語能力について、推論していることがあります。
最近まで私は、日本人の子供が英語を学ぶことについて、「日本語の基礎能力が付いてから英語を勉強すべきだ」という考え方に、うなづいておりました。ちょっと前のTVでも、丸山弁護士さんも、そのようなお考えのことを発言していました。(もちろん、幼いころから英語も学ばせたほうがいいという考え方もあるということは、知っていました。)
しかし、少し前、TVで、人間のあかんぼうの成長とはどういうことなのかをテーマにしたNHKスペシャルを見て、思いました。それによると、あかんぼうから成長していく歴史は、人間の能力でいうと、「退化の歴史」でもあるということなのでした。どういうことかというと、あかんぼうのときの「耳」は、大人の「耳」より、はるかに、「音を聞き分ける力」が、あるのだそうです。それが、生まれ落ちてからは、親が日本語を話すので、日本語を判別する能力は高まる一方で、生きていく上で聞き分けなくていい発音は、認識しなくていいものとして、聞き分ける能力が破棄されていくのだそうです。
そこに、私の経験としての、「頭の引き出しは分けられている」という実感を合わせると、たぶん、幼いころから、日本語にも英語にも接していると、バイリンガルな言語理解力と対応する耳が、育ち、そこに、日本語と英語が頭の中で混ざって混乱することはないのではないだろうかと、推測するわけです。
今の時代、バイリンガルであることは、大きななメリットだと思いますので、この先、やっぱり幼いころから、日本語とは別に、英語にも触れさせるような子供の育て方は、いいのではないかと、思ってしまいます。
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超速英語脳
こんにちは。貴ブログを拝見しました東川です。日常生活に役立つ情報を提供することを目的としてサイトを運営しており、貴プログ訪問者の方にも興味ある情報だと思いトラックバックをさせていただきました。今回はバイリンガル能力をマスターする夢のノウハウ英語・英会話...
- 2009-04-21
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