「頑張れば夢かなうは幻想、傲慢」 by 山田太一 (雑感)
2008.3.4
山田太一さんの、こういう目線が好きです。山田太一さんのドラマは、昔から好きでした。
最近の、山田太一さんの発言が、話題になっているようです。
http://www.j-cast.com/2008/02/17016615.html
から、抜粋します。
「頑張れば夢はかなう」とは良く聞く言葉だが、脚本家で作家の山田太一さんが雑誌のインタビューで「(これは)傲慢だと思っている」「頑張れば何でもできると思うのは幻想だ」などと発言したことが大反響を呼んでいる。------「『あきらめるな』とよく言います。だから誰でもあきらめさえしなければ夢がかなうような気がしてきますが、そんなことはあまりない。頑張れば何でもできると思うのは幻想だと僕は思う。成功した人にインタビューするからそうなるのであって、失敗者には誰もインタビューしないじゃないですか」------さらに、「人間は、生れ落ちた時からものすごく不平等なんです」として、国籍や容姿を選べないことなどを挙げて、「限界だらけで僕らは生きている」と指摘。------「そんなにうまくいかないのが普通なんです。その普通がいいんだと思わなければ、挫折感ばかり抱えて心を病んでしまう」------「僕は一握りの成功者が『頑張れば夢はかなう』と言うのは傲慢だと思っています。多くの人が前向きに生きるには、可能性のよき断念こそ必要ではないでしょうか」
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私の感想です。
可能性って、若ければ若いほど、いっぱいあります。その可能性の中から、自分の人生を築いていくわけですが、それは、たとえば、100の可能性のうちの1つを選択すること、同時に、必然的に、残り99の可能性を捨てることだと思います。
99の可能性を捨てて1つを選んだ人生、それで得た現実は、尊いものだと思います、成功でも失敗でも。たとえ失敗であっても、その実人生での経験は、重いものではないでしょうか。
成功の場合でも失敗の場合でも、必然的に、時が過ぎた分、それからの選択肢は、以前より間口が狭くなります。しかし、経験したことが、選択肢のどこかの深さを増してくれているはずです。
生まれる社会や時代や親、選べません。生まれてきた状況、それは運命です。運命は、受け入れるしかありません。しかし、そういう与えられた運命以降の人生は、自分で選べる自分の人生です。そこでがんばるしかありません。
そのように、達観しておきたいと思います。人生の路の途中では、常に可能性を探求し、そこから選んだ一つを、現実に変えていく努力をしていきたい、と、思います。
ちなみに、外国での話でしたが、ある鉄道会社に同期で入社した人2人がいて、1人は社長になった、1人は線路工夫のままで、車窓から社長に声をかけられた、のような話を聞いたことがあります。ここでは、社長が成功者で、このごとく人生には差がつくのだというような趣旨を語っていたと思います。
でも、この線路工夫さんだって、かけがえのない人生があるはずでしょう? 社長になったから偉いというものではないと思います。それぞれが、それぞれの人生を生きているだけです。
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堕落の時期も、人生にはあります、私はありました。でも、たぶん、いずれ、そんな人生に耐えられなくなって、とりあえずでも、意志が定まらないままでも、外の世界に身を置いてみたくなるんじゃないかな。そうして、迷いながらでも、生きてみて、たとえ失敗の果てにでも、そこに価値ありだと思います。 クリックしてくれるとうれしいです→
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山田太一さんの、こういう目線が好きです。山田太一さんのドラマは、昔から好きでした。
最近の、山田太一さんの発言が、話題になっているようです。
http://www.j-cast.com/2008/02/17016615.html
から、抜粋します。
「頑張れば夢はかなう」とは良く聞く言葉だが、脚本家で作家の山田太一さんが雑誌のインタビューで「(これは)傲慢だと思っている」「頑張れば何でもできると思うのは幻想だ」などと発言したことが大反響を呼んでいる。------「『あきらめるな』とよく言います。だから誰でもあきらめさえしなければ夢がかなうような気がしてきますが、そんなことはあまりない。頑張れば何でもできると思うのは幻想だと僕は思う。成功した人にインタビューするからそうなるのであって、失敗者には誰もインタビューしないじゃないですか」------さらに、「人間は、生れ落ちた時からものすごく不平等なんです」として、国籍や容姿を選べないことなどを挙げて、「限界だらけで僕らは生きている」と指摘。------「そんなにうまくいかないのが普通なんです。その普通がいいんだと思わなければ、挫折感ばかり抱えて心を病んでしまう」------「僕は一握りの成功者が『頑張れば夢はかなう』と言うのは傲慢だと思っています。多くの人が前向きに生きるには、可能性のよき断念こそ必要ではないでしょうか」
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私の感想です。
可能性って、若ければ若いほど、いっぱいあります。その可能性の中から、自分の人生を築いていくわけですが、それは、たとえば、100の可能性のうちの1つを選択すること、同時に、必然的に、残り99の可能性を捨てることだと思います。
99の可能性を捨てて1つを選んだ人生、それで得た現実は、尊いものだと思います、成功でも失敗でも。たとえ失敗であっても、その実人生での経験は、重いものではないでしょうか。
成功の場合でも失敗の場合でも、必然的に、時が過ぎた分、それからの選択肢は、以前より間口が狭くなります。しかし、経験したことが、選択肢のどこかの深さを増してくれているはずです。
生まれる社会や時代や親、選べません。生まれてきた状況、それは運命です。運命は、受け入れるしかありません。しかし、そういう与えられた運命以降の人生は、自分で選べる自分の人生です。そこでがんばるしかありません。
そのように、達観しておきたいと思います。人生の路の途中では、常に可能性を探求し、そこから選んだ一つを、現実に変えていく努力をしていきたい、と、思います。
ちなみに、外国での話でしたが、ある鉄道会社に同期で入社した人2人がいて、1人は社長になった、1人は線路工夫のままで、車窓から社長に声をかけられた、のような話を聞いたことがあります。ここでは、社長が成功者で、このごとく人生には差がつくのだというような趣旨を語っていたと思います。
でも、この線路工夫さんだって、かけがえのない人生があるはずでしょう? 社長になったから偉いというものではないと思います。それぞれが、それぞれの人生を生きているだけです。
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堕落の時期も、人生にはあります、私はありました。でも、たぶん、いずれ、そんな人生に耐えられなくなって、とりあえずでも、意志が定まらないままでも、外の世界に身を置いてみたくなるんじゃないかな。そうして、迷いながらでも、生きてみて、たとえ失敗の果てにでも、そこに価値ありだと思います。 クリックしてくれるとうれしいです→


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