天は二物を与えず (雑感)
2007.12.3のTV、「カンブリア宮殿」を見ました。
どこかの社長さんが、『「天は二物を与えず」と言うが、それはすなわち「天から一物は与えられている」ということだ。その一物(得意分野)に、仕事を引き込むように業務をもっていける人が、伸びていく。』というようなことを言っていました。
私にとっては初めての発想でした。なるほどと思いました。
サラリーマン時代にこういうことを言ってくれる人がいたらよかったかもしれないなーとも、思いました。
そうしたら、もっと別の発想で、仕事を続けられたかもしれないとも思えます。
思えば、会社の中で光る人は、そういう要素があったなーと思います。
私は、会社時代後半は、なんとなく、すべてにおいて80%だったかなーと思います。(会社時代前半は、落第点も何度か付けられたはずですが。)
会社時代最後のころ、上司から、「もっと、自分はこうだというものを持て」と言われたことがあります。そのときは、概念的にはわかっても、そのときの業務範囲の中では、さらなる具体的イメージは、描けませんでした。
今思うと、それなら、閑職にいったんまわしてもらって、考えさせてほしいと言えばよかったかもしれないと思います。
そう、でも、追い詰められた実務の悩みがある中で、また、周りからの見られ方も気になるわけで、なかなかそういう発想は浮かばないものです。
今からでも、「自分の一物」、それは、イコール「自分が楽しくがんばれる世界」、を求めていきたいと思います、個人としても、仕事においても。 クリックしてくれるとうれしいです→
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どこかの社長さんが、『「天は二物を与えず」と言うが、それはすなわち「天から一物は与えられている」ということだ。その一物(得意分野)に、仕事を引き込むように業務をもっていける人が、伸びていく。』というようなことを言っていました。
私にとっては初めての発想でした。なるほどと思いました。
サラリーマン時代にこういうことを言ってくれる人がいたらよかったかもしれないなーとも、思いました。
そうしたら、もっと別の発想で、仕事を続けられたかもしれないとも思えます。
思えば、会社の中で光る人は、そういう要素があったなーと思います。
私は、会社時代後半は、なんとなく、すべてにおいて80%だったかなーと思います。(会社時代前半は、落第点も何度か付けられたはずですが。)
会社時代最後のころ、上司から、「もっと、自分はこうだというものを持て」と言われたことがあります。そのときは、概念的にはわかっても、そのときの業務範囲の中では、さらなる具体的イメージは、描けませんでした。
今思うと、それなら、閑職にいったんまわしてもらって、考えさせてほしいと言えばよかったかもしれないと思います。
そう、でも、追い詰められた実務の悩みがある中で、また、周りからの見られ方も気になるわけで、なかなかそういう発想は浮かばないものです。
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