親と配偶者とどちらが大事? (雑感)
2009.5.1
数年前だが、以前の会社の同期会があって、そこにはOBも参加できる。そのときの話。一人のOB、彼は人事部門にいた。ある事業部門からの撤退に伴うリストラ対応の先頭に立たされて、疲れたのではないかと思う。みずからも退社した。
家族の事情もあったようだ。退社後、彼は一人住まいの母の元へ帰った。しかし数年後、その母を残し、再び、彼の家族の住む地で再就職し、家族の元へ戻った。
彼は、「おれはおふくろでなく、かみさんを取ったんだ」と言った、無念そうに。私は、「当たり前だよ。それでふつうじゃないの?」と言った。
親をとるか配偶者をとるかの選択に迫られたら、配偶者をとるべきだと、私は思う。
なぜなら、自分は親を選んで生まれてきたわけではないが、配偶者は自分の意思で選んだのだからだ。
親子関係は、そういう、運命としての関係なのだ。育ててもらった感謝はもちろんあっていいものの、本来、親のめんどうをみるために生まれてきたわけではないはずだ。
一方、夫婦というのは、お互い、自分の意思で家族になったのだ。これは完璧に自己責任の世界だ。もちろん、別れるという選択肢もあるが、自律した意思によるべきであって、親に邪魔されて別れるというのはおかしいと思う。
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数年前だが、以前の会社の同期会があって、そこにはOBも参加できる。そのときの話。一人のOB、彼は人事部門にいた。ある事業部門からの撤退に伴うリストラ対応の先頭に立たされて、疲れたのではないかと思う。みずからも退社した。
家族の事情もあったようだ。退社後、彼は一人住まいの母の元へ帰った。しかし数年後、その母を残し、再び、彼の家族の住む地で再就職し、家族の元へ戻った。
彼は、「おれはおふくろでなく、かみさんを取ったんだ」と言った、無念そうに。私は、「当たり前だよ。それでふつうじゃないの?」と言った。
親をとるか配偶者をとるかの選択に迫られたら、配偶者をとるべきだと、私は思う。
なぜなら、自分は親を選んで生まれてきたわけではないが、配偶者は自分の意思で選んだのだからだ。
親子関係は、そういう、運命としての関係なのだ。育ててもらった感謝はもちろんあっていいものの、本来、親のめんどうをみるために生まれてきたわけではないはずだ。
一方、夫婦というのは、お互い、自分の意思で家族になったのだ。これは完璧に自己責任の世界だ。もちろん、別れるという選択肢もあるが、自律した意思によるべきであって、親に邪魔されて別れるというのはおかしいと思う。
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私の町の不思議 (雑談)
2009.5.5
この市に来て20年くらいになる。市内で3回引越しをした。今の町に来て3年くらいになる。
今の町で初めて近所の人々に愛着を感じる。
ここは市内でも便利な位置にあるが、町自体は古い。そして今は、私の住んでいる市営住宅が世帯の多くを占める小さい町だ。
この市営住宅は古い。外見はスラムだ。ちかよんなオーラ満開だ。
だが、住んでいる人は、普通にいい人たちだとわかってきた。
思った以上に、子供たちや若者も住んでいるのも不思議だ。
私にとって驚きなのは、若者たちが素直で元気なことだ。団地の中で会っても、特に知り合いでもないのに向こうから挨拶してくるし、団地の草刈なんかにも出てくる。
暴走族も今のところ近辺に来ない。
前の町と比べると、不思議だ。なぜこの町はこうなのか。
この地域では、今、年に一度の祭りが行われている。ラッパの音が響くが、へたくそである。迫力も今一だ。しかし、庶民の祭りだから、ラッパもへたなんだ、それはそれでいいのだと思える。 クリックしてくれるとうれしいです→
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この市に来て20年くらいになる。市内で3回引越しをした。今の町に来て3年くらいになる。
今の町で初めて近所の人々に愛着を感じる。
ここは市内でも便利な位置にあるが、町自体は古い。そして今は、私の住んでいる市営住宅が世帯の多くを占める小さい町だ。
この市営住宅は古い。外見はスラムだ。ちかよんなオーラ満開だ。
だが、住んでいる人は、普通にいい人たちだとわかってきた。
思った以上に、子供たちや若者も住んでいるのも不思議だ。
私にとって驚きなのは、若者たちが素直で元気なことだ。団地の中で会っても、特に知り合いでもないのに向こうから挨拶してくるし、団地の草刈なんかにも出てくる。
暴走族も今のところ近辺に来ない。
前の町と比べると、不思議だ。なぜこの町はこうなのか。
この地域では、今、年に一度の祭りが行われている。ラッパの音が響くが、へたくそである。迫力も今一だ。しかし、庶民の祭りだから、ラッパもへたなんだ、それはそれでいいのだと思える。 クリックしてくれるとうれしいです→


歯は、痛い友達 (雑談)
2009.5.11
ここ1ヶ月くらい、歯がしみるようになり、それがだんだんひどくなってきた。熱いのも冷たいのもだめだ。きのう豚汁を食べたときも、歯にしみておいしさ半減だった。
寝ているときも、最近なんとなく痛い。
最近、やる気が出ないのも、このせいもあるかと思っていた。
たまに気分転換しても、すぐまたやる気が失せる。
「やる気が出ない」のが一番困るので、きのう意を決して、今日、歯医者に行った。
症状を話したあと、歯医者さんいわく、「虫歯になってますね。悪いとこ取って、痛み止めしておきますね。」とのこと。
顔の上にタオルをかけられた。目にもかぶせられたのだが、これ、けっこう恐怖。これから始まる治療が目に触れるとますます怖くなってしまうほどのものなのかと予想させられるからだ。
麻酔をかけるのかなーと思ったがそうではなかった。削りの機械の音がして、歯に来た。あまり痛くなかった。数秒で終わった。
「ゆすいでください」の声に従い、そのとおりにしつつ、「あっ、こんなもんだったか」と安心した。その後、タオルはかけられなかった。なので、このあともそんなに痛くないのだろうと思った。
しかしその後、勝手な呼称だが、「荒療治」が始まった。電動のものではない、かぎ状の治療具で、虫歯の部分をぐいぐいと削り出した。数秒で、「キーン」ときた。顔が思わず動く。しかし、歯医者さんは動じず、繰り返した。その後何度も、「キーン」や「キッ」がきた。何度か「ンガンガ」と声も出した、「もうやめてくれー」というメッセージをこめて。しかし、「もう少しですからねー」などという声が聞こえ、しばらく続いて、ようやく終わった。
「ゆすいでください」とのことで、ゆすいだあと、フーッとしつつ、ハンカチを額にあてたら、少し汗が出ていた。
その後、痛み止めとやらを歯に塗って、仮詰めをして、今回の治療は終わった。
最後に先生に、「神経取らなくていいんですか」と聞いたら、「これで痛みが治まらないようだったら考えましょう」ということだった。
いやー、痛い治療だった。ふつう、歯を削るにしても、最近は麻酔するものだと思っていたので、びっくりした。歯医者恐怖症が復活してしまった。
しかし、今思うのは、たぶん歯の異常に気付いたら、放っておいて自然によくなることはないはずだから、早く歯医者に行ったほうがいいということ。そのほうが、治療の痛みも少なくて済むだろうということ。
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ここ1ヶ月くらい、歯がしみるようになり、それがだんだんひどくなってきた。熱いのも冷たいのもだめだ。きのう豚汁を食べたときも、歯にしみておいしさ半減だった。
寝ているときも、最近なんとなく痛い。
最近、やる気が出ないのも、このせいもあるかと思っていた。
たまに気分転換しても、すぐまたやる気が失せる。
「やる気が出ない」のが一番困るので、きのう意を決して、今日、歯医者に行った。
症状を話したあと、歯医者さんいわく、「虫歯になってますね。悪いとこ取って、痛み止めしておきますね。」とのこと。
顔の上にタオルをかけられた。目にもかぶせられたのだが、これ、けっこう恐怖。これから始まる治療が目に触れるとますます怖くなってしまうほどのものなのかと予想させられるからだ。
麻酔をかけるのかなーと思ったがそうではなかった。削りの機械の音がして、歯に来た。あまり痛くなかった。数秒で終わった。
「ゆすいでください」の声に従い、そのとおりにしつつ、「あっ、こんなもんだったか」と安心した。その後、タオルはかけられなかった。なので、このあともそんなに痛くないのだろうと思った。
しかしその後、勝手な呼称だが、「荒療治」が始まった。電動のものではない、かぎ状の治療具で、虫歯の部分をぐいぐいと削り出した。数秒で、「キーン」ときた。顔が思わず動く。しかし、歯医者さんは動じず、繰り返した。その後何度も、「キーン」や「キッ」がきた。何度か「ンガンガ」と声も出した、「もうやめてくれー」というメッセージをこめて。しかし、「もう少しですからねー」などという声が聞こえ、しばらく続いて、ようやく終わった。
「ゆすいでください」とのことで、ゆすいだあと、フーッとしつつ、ハンカチを額にあてたら、少し汗が出ていた。
その後、痛み止めとやらを歯に塗って、仮詰めをして、今回の治療は終わった。
最後に先生に、「神経取らなくていいんですか」と聞いたら、「これで痛みが治まらないようだったら考えましょう」ということだった。
いやー、痛い治療だった。ふつう、歯を削るにしても、最近は麻酔するものだと思っていたので、びっくりした。歯医者恐怖症が復活してしまった。
しかし、今思うのは、たぶん歯の異常に気付いたら、放っておいて自然によくなることはないはずだから、早く歯医者に行ったほうがいいということ。そのほうが、治療の痛みも少なくて済むだろうということ。
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模倣とオリジナリティーについて (雑感)
2009.5.13
おととい、テレビで見ておもしろいと思ったものが二つあった、それらが偶然、私の中で同じテーマにはまった。
ひとつは、クワタケイスケが「おふくろさん」を歌っていたもの。もうひとつは、キヨシロウが「上を向いて歩こう」を歌っていたもの。
どちらも、想像できるであろうが、オリジナルの歌手の歌い方とは、まったく趣を異にしていた。しかし、それはそれで、おもしろさを感じた。
ここまで極端ではないが、クラシック音楽の演奏においても、同様の楽しみがある。私はピアノ曲が好きなのだが、演奏家ごとに、味わいが異なることに多いに楽しみを感じてきた。
同じ楽曲について、オリジナリティーは、その楽曲を創った人にだけあるわけではないと思う。それの歌い手や演奏家にも、同様にあるのだ。
同じ楽曲をどのように表現するかということに、表現者の個性が出てくる。
脳科学者の茂木さんが、テレビで言っていた、「まねすることはいいことだ。まねしても、そこに必ずその人のオリジナリティーが出てくるものだ。」と。
ゼロから生み出すことだけがオリジナリティーなのではない。むしろ、ゼロからは何も生み出せないであろう。楽曲を創った人だって、ゼロから創ったとは言えないのだ。いいと思った物事はおおいにまねしたらいいのだ。その中で自己のオリジナリティーは、自然に発揮されるのだと思う。 クリックしてくれるとうれしいです→
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おととい、テレビで見ておもしろいと思ったものが二つあった、それらが偶然、私の中で同じテーマにはまった。
ひとつは、クワタケイスケが「おふくろさん」を歌っていたもの。もうひとつは、キヨシロウが「上を向いて歩こう」を歌っていたもの。
どちらも、想像できるであろうが、オリジナルの歌手の歌い方とは、まったく趣を異にしていた。しかし、それはそれで、おもしろさを感じた。
ここまで極端ではないが、クラシック音楽の演奏においても、同様の楽しみがある。私はピアノ曲が好きなのだが、演奏家ごとに、味わいが異なることに多いに楽しみを感じてきた。
同じ楽曲について、オリジナリティーは、その楽曲を創った人にだけあるわけではないと思う。それの歌い手や演奏家にも、同様にあるのだ。
同じ楽曲をどのように表現するかということに、表現者の個性が出てくる。
脳科学者の茂木さんが、テレビで言っていた、「まねすることはいいことだ。まねしても、そこに必ずその人のオリジナリティーが出てくるものだ。」と。
ゼロから生み出すことだけがオリジナリティーなのではない。むしろ、ゼロからは何も生み出せないであろう。楽曲を創った人だって、ゼロから創ったとは言えないのだ。いいと思った物事はおおいにまねしたらいいのだ。その中で自己のオリジナリティーは、自然に発揮されるのだと思う。 クリックしてくれるとうれしいです→

