さようなら、車 (雑談)
セロリ畑のこと (雑談)
2008.12.12
今日の午前中、セロリ畑の草取りをやってきました。
趣旨は、私の母の日常を気遣ってくださる、元ヘルパーさんのお誘いで、母のために、そういう機会に、お誘いくださったのです。とてもありがたいお話です。
初回の今日は、私も付き添いとして、同行させていただくことにしたのでした。
私自身、めったにしない畑作業を、母の様子を見ながら、やりました。
きつーっ、です。
しかし、母にとっては、ご好意をいただける限り、こういう活動はいいことだと思いますので、これからも続けられれば、ありがたいと、思っています。
セロリ畑

セロリの生育のための間引き的な作業でのおすそ分けもいただきました。
クリックしてくれるとうれしいです→
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今日の午前中、セロリ畑の草取りをやってきました。
趣旨は、私の母の日常を気遣ってくださる、元ヘルパーさんのお誘いで、母のために、そういう機会に、お誘いくださったのです。とてもありがたいお話です。
初回の今日は、私も付き添いとして、同行させていただくことにしたのでした。
私自身、めったにしない畑作業を、母の様子を見ながら、やりました。
きつーっ、です。
しかし、母にとっては、ご好意をいただける限り、こういう活動はいいことだと思いますので、これからも続けられれば、ありがたいと、思っています。
セロリ畑

セロリの生育のための間引き的な作業でのおすそ分けもいただきました。



2009カレンダー (雑談)

2009年のカレンダーの一つを紹介します。
今年のものも紹介した同じ会社のものですが、来年のものも、私はすきなので。
実用性を損なわない範囲で、遊びのデザインがあるのが、いいです。
一方、私自身の現実の生活は、遊び心を持てなく、その前の経済的安定が第一の課題である状況は、続いています。
多少の仕事は入っていますが、今週も、ありそうな仕事がなかったりしています。
やはり、フリーランスの翻訳の仕事には、たよれないわけです。
ほかに、ステディーな仕事を持って、余裕の範囲でするのが、私の場合、正解でしょう。
なんとなく、仕事が入ると、しばらくそのままやってしまうのですが、なんらかの求人への応募を、継続してやっていかなくてはと思います。
他の翻訳会社へのフリーランス登録も、ここ1ヶ月、数社トライしましたが、登録されずが多く、登録された会社もありますが、実際の仕事は、いつあるのかわかりません。
しかし、「ステディーな仕事」を探すのも、きびしいですね。自身の体力や資質、年齢の条件もある中、受け入れ先候補全体が、大不況ですからね。
地元の求人誌も、この夏ころの半分くらいのページ数になっています。 クリックしてくれるとうれしいです→


何かを捨てなければならない (雑感)
2008.12.25
きのうのTVで、太平洋戦争のことを、やっていた。
日本の、戦争への選択。
日本人は、そのとき、何かを捨てられなかったのだ。
だから、不確実でも、そういう選択をしてしまったのだ。
捨てられなかったのは、弱い国に甘んじることに耐えられない気持ちか、プライドか。
不確実でも、勝てばよかった。勝てば肯定される。
しかし、負ければ「ただの悪」だ。
私が会社を辞めたときの心理も、「何かを捨てられなかった」心理があったように思う。
私が会社を辞めるとき、いくつかの閉塞感があった。それに、耐えられなかったのだ。
このままでは、座して死を待つしかないと思うような状況だった。
なので、それよりはと、不確実でも、会社を辞めて、株トレードに、かけてみた。
もっと、「何かを捨てる」という選択肢が持てればよかったのに。
不確実でも、株トレードで勝てばよかった。勝てば肯定される。
しかし、負ければ「ただの、バカなやつ」だ。
負けて、いろんなものを、失った。
しかたがない。あのとき、会社を辞めていないほうがよかったというのは、はたから言われるが、私自身は、あまりそうは思わない。辞めない選択であのままの延長では、私は、経済的にも、精神的にも、やっていけなかったと思える。
ただ、選択肢の幅が、今思えば、自分の中で、少なかったのだ。もっと、「何かを捨てて」、ほかの選択肢を考えてもよかったのだ。あのとき「捨てるもの」は、会社へのプライドだったかもしれない。あるいはまた、会社の人々や友人や家族へのプライドだったかもしれない。そういうのを、捨てる覚悟ができれば、ほかの選択肢もあり得たかもしれないとは、思う。
そして今、ここまで落ちても、さらに何かを捨てなければならないようだ。今の延長線上に、未来が見えないからだ。
何を捨てればいいだろうか。つらいことに耐えたくない気持ちか、習慣か、家族か。家族といっても、かたちはどうあれ、「はいさよなら」にはなりえない。 クリックしてくれるとうれしいです→
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きのうのTVで、太平洋戦争のことを、やっていた。
日本の、戦争への選択。
日本人は、そのとき、何かを捨てられなかったのだ。
だから、不確実でも、そういう選択をしてしまったのだ。
捨てられなかったのは、弱い国に甘んじることに耐えられない気持ちか、プライドか。
不確実でも、勝てばよかった。勝てば肯定される。
しかし、負ければ「ただの悪」だ。
私が会社を辞めたときの心理も、「何かを捨てられなかった」心理があったように思う。
私が会社を辞めるとき、いくつかの閉塞感があった。それに、耐えられなかったのだ。
このままでは、座して死を待つしかないと思うような状況だった。
なので、それよりはと、不確実でも、会社を辞めて、株トレードに、かけてみた。
もっと、「何かを捨てる」という選択肢が持てればよかったのに。
不確実でも、株トレードで勝てばよかった。勝てば肯定される。
しかし、負ければ「ただの、バカなやつ」だ。
負けて、いろんなものを、失った。
しかたがない。あのとき、会社を辞めていないほうがよかったというのは、はたから言われるが、私自身は、あまりそうは思わない。辞めない選択であのままの延長では、私は、経済的にも、精神的にも、やっていけなかったと思える。
ただ、選択肢の幅が、今思えば、自分の中で、少なかったのだ。もっと、「何かを捨てて」、ほかの選択肢を考えてもよかったのだ。あのとき「捨てるもの」は、会社へのプライドだったかもしれない。あるいはまた、会社の人々や友人や家族へのプライドだったかもしれない。そういうのを、捨てる覚悟ができれば、ほかの選択肢もあり得たかもしれないとは、思う。
そして今、ここまで落ちても、さらに何かを捨てなければならないようだ。今の延長線上に、未来が見えないからだ。
何を捨てればいいだろうか。つらいことに耐えたくない気持ちか、習慣か、家族か。家族といっても、かたちはどうあれ、「はいさよなら」にはなりえない。 クリックしてくれるとうれしいです→


好きな音楽 (雑談)
2008.12.29
今回の年末年始は、非常にきびしい。
可能性のある仕事が2本延期になった。
新たな会社への再就職エントリーと、翻訳フリーランス登録のためのトライアル翻訳の残りを、進めていくつもり。
さて、雑談ということで、紅白も近くなったし、音楽について、雑記します。(紅白は、見たいほうです。近年は淡白な感じがしますが、年末の最後の日の味わいを感じるには、紅白でいいです。)
私はもともと、クラシックのピアノ音楽が、好きなのです。
ピアニストでいうと、ポリーニ、ミケランジェリ、アルゲリッチは、最高に好きです。
楽曲でいうと、ショパンのバラード、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番など。そのほかありますが、とりあえず。
語弊がありそうですが、現代の一般音楽では、こんなのが好きです (今思いつく範囲)。
歌手: 都はるみ、石川さゆり、八代亜紀、尾崎紀世彦
メロディーメーカーとして: 財津和夫、桑田佳祐、松任谷由美
詞にメロディーをのせるタイプ: 小椋桂、松山千春
作詞家: 阿久悠
私は、「詞にメロディーをのせるタイプ」になりたいです。クラシックピアノの演奏と、こういう歌作りを、将来の楽しみにしたいと、思っています。
皆さん、年末年始を、それぞれの思いで過ごされると思いますが、来年も、お互いに、がんばりましょう。 クリックしてくれるとうれしいです→
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今回の年末年始は、非常にきびしい。
可能性のある仕事が2本延期になった。
新たな会社への再就職エントリーと、翻訳フリーランス登録のためのトライアル翻訳の残りを、進めていくつもり。
さて、雑談ということで、紅白も近くなったし、音楽について、雑記します。(紅白は、見たいほうです。近年は淡白な感じがしますが、年末の最後の日の味わいを感じるには、紅白でいいです。)
私はもともと、クラシックのピアノ音楽が、好きなのです。
ピアニストでいうと、ポリーニ、ミケランジェリ、アルゲリッチは、最高に好きです。
楽曲でいうと、ショパンのバラード、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番など。そのほかありますが、とりあえず。
語弊がありそうですが、現代の一般音楽では、こんなのが好きです (今思いつく範囲)。
歌手: 都はるみ、石川さゆり、八代亜紀、尾崎紀世彦
メロディーメーカーとして: 財津和夫、桑田佳祐、松任谷由美
詞にメロディーをのせるタイプ: 小椋桂、松山千春
作詞家: 阿久悠
私は、「詞にメロディーをのせるタイプ」になりたいです。クラシックピアノの演奏と、こういう歌作りを、将来の楽しみにしたいと、思っています。
皆さん、年末年始を、それぞれの思いで過ごされると思いますが、来年も、お互いに、がんばりましょう。 クリックしてくれるとうれしいです→


僕が僕であるために (尾崎豊)
2008.12.31
直近の、spadragonさんのコメントで、触れられていた歌ですが、聴いたことのある歌でした。
「尾崎豊」は、彼がこの世を去ったあとで、歌を聴くようになりましたが、年代の差を越えて、響くものがあると感じます。
彼の歌い方には、何か一線を越えた迫力を感じます。
http://jp.youtube.com/watch?v=uqQ4vvTdvEk
この歌の歌詞の中の、「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」の意味はどういうことなのでしょう。「勝ち続ける」とは?
このあとに続く歌詞は、「正しいものは何なのか、それがこの胸にわかるまで」、ですが、私が思うのは、「正しいものは何なのか、それがこの胸にわかるまで」、生き続けたい、ということです。 クリックしてくれるとうれしいです→
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直近の、spadragonさんのコメントで、触れられていた歌ですが、聴いたことのある歌でした。
「尾崎豊」は、彼がこの世を去ったあとで、歌を聴くようになりましたが、年代の差を越えて、響くものがあると感じます。
彼の歌い方には、何か一線を越えた迫力を感じます。
http://jp.youtube.com/watch?v=uqQ4vvTdvEk
この歌の歌詞の中の、「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」の意味はどういうことなのでしょう。「勝ち続ける」とは?
このあとに続く歌詞は、「正しいものは何なのか、それがこの胸にわかるまで」、ですが、私が思うのは、「正しいものは何なのか、それがこの胸にわかるまで」、生き続けたい、ということです。 クリックしてくれるとうれしいです→


Mさんの善意に感動 (雑感)
2008.12.31
大晦日、午後、少し買い物に出て、そばとかまぼこを買ってきた。今回の正月は、かまぼことたつくりと黒豆で味わうことにした。たつくりは、今夜、自分で作るのに挑戦してみることにした。
買い物から帰ってすぐ、Mさんが、たずねてきた。ご近所の農家でもらったという長いもと、きのうついたという伸し餅の差し入れだった。長いもは、私が好きなのを以前に気付いてくれていたものと思われる。おかげで、今夜の年越しそばは、とろろそばになりそうだ。
Mさんは、うちの母のために10月あたりまで、半年くらい、ヘルパーとして、来てくれていた方だ。わけあって、やめた。
しかし、いつも思っていた。この方の母への接し方は、すばらしかった。常に、工夫が感じられた。
やめたあとも、驚くのだが、この方は、私と母を、気遣ってくれている。一度は、母を、半日の外出に誘ってくださった。車で連れて行ってくださった。続いて、セロリ畑の作業に、母を誘ってくださった。車で送り迎えまで、してくださる。最初のとき、私自身もつきそいで、セロリ畑に行った。
その後、12月中旬から、連絡が途絶えていたが、今日、また、差し入れを持ってきてくれた。
セロリ畑の作業にも、いろんな事情があるようだ。また、Mさんの個人的な事情にも、いろいろあったようだ。
でも、今日の訪問はうれしかった。
なぜ、これほどまでに、私たちのことを、気遣ってくださるのだろうか。善意としか思えないが、これほどまでの善意を、私は、感じたことがない。
善意には善意でお返ししたくなる。いつか、善意でお返ししたい。 クリックしてくれるとうれしいです→
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大晦日、午後、少し買い物に出て、そばとかまぼこを買ってきた。今回の正月は、かまぼことたつくりと黒豆で味わうことにした。たつくりは、今夜、自分で作るのに挑戦してみることにした。
買い物から帰ってすぐ、Mさんが、たずねてきた。ご近所の農家でもらったという長いもと、きのうついたという伸し餅の差し入れだった。長いもは、私が好きなのを以前に気付いてくれていたものと思われる。おかげで、今夜の年越しそばは、とろろそばになりそうだ。
Mさんは、うちの母のために10月あたりまで、半年くらい、ヘルパーとして、来てくれていた方だ。わけあって、やめた。
しかし、いつも思っていた。この方の母への接し方は、すばらしかった。常に、工夫が感じられた。
やめたあとも、驚くのだが、この方は、私と母を、気遣ってくれている。一度は、母を、半日の外出に誘ってくださった。車で連れて行ってくださった。続いて、セロリ畑の作業に、母を誘ってくださった。車で送り迎えまで、してくださる。最初のとき、私自身もつきそいで、セロリ畑に行った。
その後、12月中旬から、連絡が途絶えていたが、今日、また、差し入れを持ってきてくれた。
セロリ畑の作業にも、いろんな事情があるようだ。また、Mさんの個人的な事情にも、いろいろあったようだ。
でも、今日の訪問はうれしかった。
なぜ、これほどまでに、私たちのことを、気遣ってくださるのだろうか。善意としか思えないが、これほどまでの善意を、私は、感じたことがない。
善意には善意でお返ししたくなる。いつか、善意でお返ししたい。 クリックしてくれるとうれしいです→

