1 自己破産のあらすじ~私の場合
2002年5月に、会社を早期退職。リストラ圧力/家計(家族4人)の慢性的赤字(△7-8万/月)から、このままではジリ貧、座して死を待つわけにはいかないと思い、退職金を元手にインターネットでの株トレードを志す。
しかし、勉強期間も含めて2年ほどやるも、850万ほど損を出し、断念。
退職1年後(2003年6月)には、住宅ローン不払いに陥る。このころから、生活費の債務が増え始めた。退職2年後(2004年5月)、自宅任意売却に至る。
その後、個人ベースでのビジネス(翻訳、MLM、商社代理店)を手がけるも、翻訳は安定した仕事にならず、他の2つもものにならず、1年足らずで断念。
退職2年半後(2005年12月)あたりから、再就職を捜すも、思うような収入(月収50万希望)の口は合格せず。このころで、借入金は700-800万になっていた。結局月収手取り31万で、東京の会社と契約し、2005年4月から2006年2月まで勤務するも(妻の実家からの通い)、この間、結局返済と借り入れを繰り返す自転車操業であったが、予想以上にクレジットやローン枠が増えていったため、とりあえず自転車操業を続けてしまった。自分としては、東京の会社での月収増への期待(当初の31万は暫定であった)と、不定期ながら翻訳(日英)の仕事も入ったので、近々の収支の改善を目指していた。
ところが2006年2月、東京の会社が従業員を1/3に減らすリストラを行い、自分も契約を切られてしまった。その後の再就職活動は不振で、いろいろな事情もあり、いったん地方の自宅に戻った。その後、今の収入のベースとなっている翻訳会社に翻訳者として合格したため、4月末から、ある程度定期的な仕事になるようになった。しかしこの間も、借入金は増え続けてしまった。経済的挽回の柱としては、単価の高い特殊分野の翻訳や、インターネットアフィリエイトの研究をもくろむも、挽回にはいたらず、2006年9月、新たなローンを断られるようになり、10月には、既存のローン会社の1つからも新規利用停止を食らい、ついにやりくり不可となってしまい、11月に自己破産に向けて動き出した。
いろいろ調べた結果、地元の弁護士さんに依頼し、2007.2に申請、2007.5に免責認可に至った。
その後、翻訳の仕事をメインにしつつ、新たな収入の道を模索中。
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以下、下記の項目について、書いていきたいと思います。
2 会社早期退職~自宅任意売却
2.1 会社時代
2.2 株トレードの経緯
2.3 自宅任意売却の経緯
3 自宅任意売却~自己破産を選択
3.1 株トレードをやめた後の仕事
4 自己破産を選択~免責認可
4.1 インターネットでの調査
4.2 最初の相談先
4.3 弁護士決定
4.4 その後の手続き
5 その後
5.1 現在の状況
5.2 家族名義のクレジット残
5.3 家族名義のクレジット残 2
5.4 家族名義のクレジット残 3
5.5 自己破産後の人生の目標
5.6 今日の時点で考えること
5.7 「免責審尋」から1年
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しかし、勉強期間も含めて2年ほどやるも、850万ほど損を出し、断念。
退職1年後(2003年6月)には、住宅ローン不払いに陥る。このころから、生活費の債務が増え始めた。退職2年後(2004年5月)、自宅任意売却に至る。
その後、個人ベースでのビジネス(翻訳、MLM、商社代理店)を手がけるも、翻訳は安定した仕事にならず、他の2つもものにならず、1年足らずで断念。
退職2年半後(2005年12月)あたりから、再就職を捜すも、思うような収入(月収50万希望)の口は合格せず。このころで、借入金は700-800万になっていた。結局月収手取り31万で、東京の会社と契約し、2005年4月から2006年2月まで勤務するも(妻の実家からの通い)、この間、結局返済と借り入れを繰り返す自転車操業であったが、予想以上にクレジットやローン枠が増えていったため、とりあえず自転車操業を続けてしまった。自分としては、東京の会社での月収増への期待(当初の31万は暫定であった)と、不定期ながら翻訳(日英)の仕事も入ったので、近々の収支の改善を目指していた。
ところが2006年2月、東京の会社が従業員を1/3に減らすリストラを行い、自分も契約を切られてしまった。その後の再就職活動は不振で、いろいろな事情もあり、いったん地方の自宅に戻った。その後、今の収入のベースとなっている翻訳会社に翻訳者として合格したため、4月末から、ある程度定期的な仕事になるようになった。しかしこの間も、借入金は増え続けてしまった。経済的挽回の柱としては、単価の高い特殊分野の翻訳や、インターネットアフィリエイトの研究をもくろむも、挽回にはいたらず、2006年9月、新たなローンを断られるようになり、10月には、既存のローン会社の1つからも新規利用停止を食らい、ついにやりくり不可となってしまい、11月に自己破産に向けて動き出した。
いろいろ調べた結果、地元の弁護士さんに依頼し、2007.2に申請、2007.5に免責認可に至った。
その後、翻訳の仕事をメインにしつつ、新たな収入の道を模索中。
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以下、下記の項目について、書いていきたいと思います。
2 会社早期退職~自宅任意売却
2.1 会社時代
2.2 株トレードの経緯
2.3 自宅任意売却の経緯
3 自宅任意売却~自己破産を選択
3.1 株トレードをやめた後の仕事
4 自己破産を選択~免責認可
4.1 インターネットでの調査
4.2 最初の相談先
4.3 弁護士決定
4.4 その後の手続き
5 その後
5.1 現在の状況
5.2 家族名義のクレジット残
5.3 家族名義のクレジット残 2
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5.7 「免責審尋」から1年
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